続・おでけけしてきました。 (おでけけ・・・アーニャ語)
お寺に行った来たのですが、ほぼ登山でした^^;
動きやすい恰好とスニーカーを履いていたのでよかったものの、足が筋肉痛でガクガクです。ストックを持っていかなかったのでパートナーのものを借りましたが、下りが危険。
膝に負担がかかり、左膝に痛みが出てしまいました。
筋肉ではなく骨の痛みのようです。体づくりをしているけどまだ筋肉がうまく使えていないなぁと感じました。
山歩きにストックは必須です。特に下りは足に負担がかかります。これくらい大丈夫という気持ちで登るとこういうことになります^^;今回もいい学びになりました。
損したくないという気持ち
昨日行った場所は初めてでした。体力的に頂上まで行くのは難しいと思い、ケーブルカーを使って上まで行きました。そこにはなんと遊園地!があったのですが、目的は遊園地ではなかったため、下山することに。
降りている間に、なんだかもやもやとしてきたんです。
途中お寺の名前が入った駅があったので、そこで降りればよかったのでは?
頂上で見晴らしのいい場所があるかと思ったけどなかった
遊園地楽しそう
お金もったいなかったなぁ・・・
頭では、目的地はここではないし、予定外のことがあって当たり前だと理解しているのですが、気持ちが納得してくれません。
あの時ああすればよかったのに、こっちの方が得だったのに、とその状況を楽しめなくなっていました。
予定通りに進まないともやもやしてくるのは発達障碍の特性でもあるけど、初めて訪れる場所はこういうことが頻繁に起こります。
これは買い物のときにも現れているようです。
こうしたほうが得だと思って、すごく欲しいわけでもないものをかごに入れたり、意識がそちらに向いて本当に欲しいものがわからなくなってしまったり・・・それで買うものが絞れずに疲れてしまいます。
モヤモヤの原因
発達の特性だけではなくて、親の影響が大きいんだろうなと思いました。
親は、よく「もったいない」と口にしていました。
お金もお小遣いを持たせてもらっていたわけではなく、親が管理をし必要なときにもらうことになっていました。お年玉は使ったことがなく、将来のために貯めておけと言われたことを守っていました。
大学生からバイトをし始め、自分のお金を使うようにはなりましたが、お給料も貯めていたし、「将来のために」という言葉に縛られていました。
このもったいない精神は、大事なことでもあるけどとても厄介です。
今は自分の好きなことにお金を使いたいと思っているけど、当時はお金を貯めることが大事で、自分への投資というものはできていませんでした。投資の話がきたり、美顔器を購入したり、エステの勧誘にあってエステをやったり、お金のほしがるところにお金を流していました。おしゃれが好きでそれが唯一自分を保てるものだと思っていたので、服やブランド品を購入していた頃もありました。スニーカーにはまり集めたことも。
自己投資というのは、スピや講演会等に何十万かけることではなくて、自分が本当にやりたいこと、自分の知識や経験になること、です。
何が自分のやりたいことなのか、自分に大事なことなのかを選択できませんでした。
買い物も、何を買うのかの選択によく迷ってしまいます。「正しさを求めてしまう」「得したい」「間違ってはいけない」「失敗したくない」というのは、「損をしたくない」という心の現れなのかもしれません。
なぜ、損をしたくないのか??というところなのですが・・・ここからが内面の深い部分に関わってくると思います。
損をしてがっかりしたくないとか、傷つきたくないとか、そういう思いがあるような気がします。
怒りの感情
そして、パートナーと話しているうちに、そのモヤモヤに怒りが混じっているだろうということがわかりました。
親に影響されている自分が嫌なのと、親に言われた「もったいない」という言葉をずっと引きずっていたこと。
もったいないと言われたことが嫌なのではなくて、自分の主張を親が受け止めてくれていなかったこと。
お金を使おうとすれば、あまり使ったらだめだ、無駄遣いをするなと言われたこと。
もういい社会人で何に使うかは自分で決められます。最近もデスクトップパソコン買いました。譲り受けた中古のノートパソコンの調子が悪くなり買い替え時だったから。PCないと写真の整理やデータのバックアップ等何もできなくなるしこれは自己投資です。
親の価値観で必要であると思えるものに対しては何も言われないと思うけど、仮にバイク買いました、とか言えば「そんな高いもの~」とか「怪我したら危ない」とか言ってくるんだろうなぁと思います。
ちなみに精神病で働いたことのない兄弟は、親にパソコンや欲しいものを買ってもらってます。この差はなんなのか。
家を出てからそういう心配が増えたような気がします。
もともと心配性でした。でも、それは親の心配であって私の心配ではないんですよね。
親が「勝手に」「想像して」「不安になって」「心配している」だけなんですよ。
私のお金がなくなることを心配している。ないと生きていけませんから。
私に不安がなくても、親が不安になってそれに私が引っ張られるんです。
そしてこちらが望んでいないことをあれこれしてくる。要らない荷物を送ったりしてくる。何を言っても話を聞かない。聞いていても理解ができない。
私の怒りは“親に尊重されなかった”ことです。
心配だけされていて信頼されていません。信頼されていないのに干渉だけしてくる。
これで親を信頼できるわけがない。
そのうえ兄弟もおかしくなってしまった。兄弟の暴言暴力が出ないよう、気を遣って私は我慢しなければいけない。
母が味方をしてくれていたらまだよかったのかもしれないけど、そのフォローもなかった。
私に親子なんだからなんでも相談してと言うけど、相談できない環境を作っているのは親です。話を聞かない人に何を相談しろというのか???
小さい頃からずーっとずーっとため込んできました。
親も発達障碍だと思っていますが、もうそういうものとして付き合うしかありません。
仮に本人に話しても自覚がないだろうし、発達障碍であるということを理解できないと思います。
兄弟は発達グレーゾーンと医者から言われてるようですが、強迫性障害が強くうつ病にも早くからなっていたところからすると、明らかに発達障碍です。障碍者手帳もっていないみたいですが、明らかに2級です。それくらいひどい。
(なぜとらないのか不思議だけど私は関係ないし何も言えない)
二人して発達もちなので、両親もそうだった、としか思えないです。
この溜め込んだ怒りを、ことあるごとに外に出していたわけですが、これが他人だった場合、他人を傷つけることになってしまいます。特に親しい人に出てしまう傾向があります。受け入れてもらいたい、許してもらいたい、という甘えからだと思いますが、他人は親ではありません。パートナーにもたくさん当たってしまいました。
でもパートナーはパートナーであり、親ではないんです。
本来ならばこの怒りは本人に返すべきものです。
それが親に歯向かえなかった、反論できなかった。
親という存在は子からするとやはり大きいし敵わない。でも、今は対等にやりあえる大人です。
年齢的にも今後親とどう付き合っていくか難しいところですが、逃げずに向き合って言いたいことをはっきりと伝えていこうと思います。