姉を殺害した弟 「良かったね」と語りかける母親 法廷で語られる歪んだ“家族の形”(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース
うーん、境遇が似ているのでなんともいえなくなってしまう。
私も暴言暴力を受けてきたので気持ちがよくわかる。
本人もどうしようもなくて爆発してしまうのだろうけど受けたほうも処理ができなくて気持ちをぶつける場所がない。誰にも話せないし親は姉の味方をするし(何をするかわからないから)私のほうにもフォローがあればまだよかったかもしれないけどそんな余裕もなかっただろうから仕方のない部分もある。とはいえ、愛情をもらえなかった私は今でも苦しんでいるわけだが。
姉の場合はまだ発達障碍という言葉が浸透していなかったし、今の診断でもグレーゾーンと言われている。
だからこそ余計に生きづらかったと思う。本人が一番つらい。生き地獄を何度も見ている。でも私も毎日死にたいと思うくらいつらい人生だった。
自分だけが苦しんでる、自分がこうなったのはお前のせいだ、と言われたこともある。
私のせいで姉が苦しんでいるのだと。カウンセラーも家族のせいで姉がこんなことになったと言っていたらしい。ひどいカウンセラーもいるもんだ。
姉は小学生のときに腕が動かなくなってしまったことがあった。
その時点で何かがおかしかったのだろう。入院しても原因がわからなかった。
うつになり、精神病院に入院になり、何度もODをしたりとてつもなく怒りだしたり、どうすることもできなかった。私が高校、大学と進学できたことを妬まれたりもした。
そんな中で家族が病気をしたり私自身うつ病になって療養することになったりと様々な出来事が重なった。
発達障碍が関係していたのもあるし、親がもっと早くに療育のほうに相談していたらよかったかもしれないと思う。親の対処を見ていると医者に頼りきっていてなんとか子どもが一人で生活できるようにしなければ、というのがなかった。私の発言も医者がこういっているからと言い聞いてくれなかった。
私の発言よりもまわりの発言をきく、これは姉にもその傾向があったのだが、私に対して信頼というものがない。それなのに私のすることには心配だからと過剰反応する。
心配するということは私のやることが間違っているという前提で、実際間違ったり失敗したりすると、「ほらお母さんの言った通りになったでしょ」とマウントをとりたいだけなんだと感じる。
話をしているとどこか他人事のように感じることが多い。本気さが足りないし、現実をちゃんと見ていない。いつ死ぬかわからないと言えば、まだ生きるから、なんて悠長なことを言う。
強気で伝えてやっと私の言うことをきいてくれるようにはなってきた、けどここで油断するとまた飲み込まれてしまうのでまだ距離を置いている。
姉の自立を妨げているのは母の存在だ。(父は他界しているが父親の役割を果たさずこの世を去った)
姉の世話をやきすぎるのだ。むしろ、自分が世話をすることで許してもらいたい、という感じを受ける。こんな子に育ててしまったと思うなら、本当に子どものことを考えるなら、どうやってこの社会を生きていけばいいかを第一に考えなければならない。
私自身が発達障碍で今うつを抱えていることを母は知らない。
伝えたところで理解を得られると思えないし、変に心配させるだけだとわかってしまうからだ。
「ケーキの切れない非行少年たち」という本も読んだが、私たちのケアやサポートは本当に難しいと感じる。特性も性格も様々だ。
罪に走る人もいればそうでない人もいる。罪は罪でありそこは障碍を理由に許されることではないと思う。
ただどんなにがんばっても定型発達の人と同じようにはできない部分がある。迷惑をかけるし、申し訳ない気持ちにもなる。
でもこういう特性をもって生まれてきた以上はその特性とともに生きていくしかないし、まわりのサポートなしでは生きていくのも難しい。
サポートしてくれる存在があるということが、唯一の救いだ。
今は前を向いて生きていきたいと思えるようになった。まわりの人と円滑なコミュニケーションをとれるようになりたいし、仕事をして人の役に立ちたい。そのためにサポートしてくれる人の力や機関を借りながら、努力をし続けたいと思う。