日常生活を送っていて、私の中ではできているほうだと思っていたことが実はできていないということが結構あります。
・掃除、片付けができるようになってきた。
・洗い物を終えた食器類も前は出しっぱなしだったけど定期的にしまうようになってきた。
これらは私の認識では、できていることになっていました。実際死にかけの状態だったのでその頃と比べると格段によくなっています。
しかし、パートナーから見た私は、まだまだできていないようです。
ショック^^;
作業途中で気になることがあるとそちらに意識がいって次のことをやってしまったり、物を出しっぱなしにしてそのままの状態なのでどんどん散らかっていったり・・・。
パートナーは言葉を選んで、できていないところを伝えてくれるのですが、それでも悲しくなって泣いてしまいました。
私を否定する言葉は一切言っていないし彼も傷つけるために言っているのではない、ということは頭ではわかっています。でも勝手にプレッシャーを感じたり、もっとがんばれと言われているような気になってしまいます。私は私でこれでもがんばってる!前より良くなってる!と思っているのでこれ以上言わないで、となってしまいます。
言いたい事をぐっとこらえて我慢してくれているパートナー・・・本当にごめんね😢
同じ発達障碍だからこそ理解してもらえていますが、これが一般の中だともっと厳しい目で見られてしまうのかな、と思います。
うつもあるし、何が落ち込みスイッチになるか自分でもわからないのが困ったところです。
でもこの件で、自分ではできたと思っていても相手にはそう見えていないし、実際あまりできているといえない、ということがわかりました。
これが認知のずれなんだと思います。
今までやってきた仕事でも、似たような事があったかもしれないなと思います。
自分はやっている、できている、言われたとおりにしていると思っていても、実は全然進んでなかったり、指示とずれたことをしていたかもしれません。
特にこだわりの部分では、誰も気づかないようなことが気になったり、ゴミ捨てなども積極的にやったり、自分の仕事の範囲を超えてやっていました。
自分の仕事はというと、うっかりミスがあったり、抜けてたりしていました。
そこがきちんとできたうえでほかのことに取りかかるのはいいけど、別のことに意識を向けて大事なところが抜けるのは仕事ができるとは言えないですね・・・。
人間関係で仕事を辞めるパターンが多かったのですが、よかれと思ってやったことがまわりにとったらありがた迷惑で、不快な思いをさせてしまっていたこともあったのかもしれません。
発達障碍の特性を完全に理解しているわけでもないので、一人でこれを乗り越えて生きていくのは非常に厳しいと感じます。
一人だと何が問題なのか、何ができて何ができていないのかを把握することがまず難しいです。
そういう意味ではダメなところを指摘してくれて、寄添ってくれるパートナーの存在は本当にありがたいです。
今後サービスも受けるのでしっかり訓練して少しでも発達由来の生きづらさの解消につなげていきたいと思っています。
§発達あるある通信§
・出した物は、元の位置に戻しましょう。
・場所を変えたり物を入れ替えたりするときはメモをしておきましょう。
(どこにいったかわからなくなり探すことになります・・・)