こんな自分が嫌だ、変わりたいと思っているのにどこかで「このままでいいや」と思っている自分がいることに気がつきました。
本気で変わろうとしていないっていうことなんですが自分でなんとかして変えていこうというよりは、人に変えてもらいたいという依存的な部分があるように思います。
自分と向き合う事は相当精神力体力が必要になってくるので、どうしても楽なほうに流れてしまいがちです。
逃げ道は沢山あります。
きれい事を自分にあてはめてさもわかったような気になったり、自分は真実を知っているんだ、目覚めているんだ、と上から目線になっていたり、忙しいを言い訳にしたり、自分のことを棚に上げて人のことばかり気に掛けたり。
私も真実を求めていました。
〝正しい答え〟が欲しいのです。
〝正しい答え〟を得られると安心するからです。
とにかくこの苦しみから早く解放されたい、という気持ちで正しい答えをもっていそうな人を求め、その人の意見を疑うこともせず信用してしまう部分がありました。
特にスピ系は、何か自分は特別であることを感じさせる、心地のいいことを言ってくれます。
自分はすごいんだ、と肯定するのはいいけれど、そこで終ってしまいます。
心地よさだけを求めてしまい、自分で考えて答えを出すことができません。
こんなに苦しい思いをするのも、何か意味のあることで、自分に与えられた試練だとかこういう運命だと言い聞かせるようになり、私だけは知っているという特別感が生まれ、まわりの人を「何もわかっていない人たち」と下に見ていた時期がありました。
スピリチュアルジプシーから最終的に悟りを求めた結果、自称「悟った」覚者と出合うことになり、自分の人生が狂いました。
彼女は神様の名前を使い「伊勢の菊理姫」と名乗っていました。
見た目が若いため年齢を隠していましたが、その正体は社会からはじかれて一般社会では働くことのできない、借金まみれ(何百万・・・下手すると一千万いくかも)の嘘吐きおばちゃんでした。
師匠と弟子として、師匠に絶対逆らってはならないとしたうえで、暴言暴力があっても「私がやっているのではなく神がやっていること」「あんたのための教育」だと言い切り、気にくわないことがあればわがままともとれるような行動や言動をしていました。
とにかくやることが無茶苦茶なのに、「覚醒した」ということと、「覚醒したかのような出来事」(実際は本人の妄想だと思う)があり、やつのことを信じてしまいました。
私以外でも騙されている人は沢山いてお金を「支援」といて騙しとっていました。
騙しに関しては策略的で、モラハラと洗脳のせいでおかしくなっていた私は、脅しの恐怖から逆らうことができませんでした。
私は洗脳はあったものの、いくつものおかしい出来事に疑問をもっていたため、彼女が死んでからようやく目が覚めました。私はただ利用されていただけだったのだと。お金さえ手に入れば私のことなんかどうでも良かったのだと。
師匠と言っていたのは、まわりからすごい人だと見られたいだけだったのです。
自分を「すごい」と言わせるための労力だけは惜しみませんでした。
生きていれば私は一生奴隷扱いで、やつからは逃れることができなかったと思います。
こういう輩は常にターゲットを狙っているので、苦しんで弱っている人を見つけると近づいて親切にしてきます。
「あなたのことは私はよくわかっているのよ」「まわりはあなたのことを理解していない」など、こちらが心を開くようなことを言ってつなぎ止めておき、使えそうだと思ったらどんな手段も利用します。
これは親にも言えることです。
親の言うとおりに生きて、親が死んだあとの自分の人生をどう生きるのか。
親子であっても、子どもの人生は子どものものです。
私は奇跡的に地獄から抜け出すことが出来ました。
でも、確実に死んだ人生でした。
自分の人生は自分で切り拓いていくしかありません。
彼氏ができたら、結婚できたら、いい仕事に就けたらきっと幸せになれる、と思っているうちは変わりません。
まわりは自分を変えてくれません。
私もブログを書くことで自分と向き合うようにしていますが、見たくないもの、知りたくないことを無意識に避けていることがあります。
向き合うだけの体力が出て来たのでいい加減向き合わないといけません。
他人に自分の人生を委ねると自分の人生を壊してしまいます。
もう二度とこんな輩と出合いたくないし、同じような目にあいたくありません。
私の人生は私が主人公。後悔のないよう生き抜きたいです。