5月に下書きしていたメモです。
忘れないうちにパートナーとの会話で得られたことを書きます。
・解決しようとする事柄に関して、相手と第三者に「理解」や「共感」を求めてしまう
・自分はこんなに苦しんでいる、と情に訴えかけてしまう。これだと相手側になんとかしてくださいとお願いしてしまう形になる
・お願いしてしまう(相手に任せる)と、相手側ができることをできる範囲でしかやってくれない
・情に訴えかけたところで、相手側はやることを淡々とやるだけなので意味がないし期待するだけ裏切られる
・自分には関係無い、と見て見ぬ振りの人が多い。巻き込まれたくないし自分が不利になりたくない(いじめもそうだと思う)
・わかってよ、理解してよ、は甘え足りないところからきている(依存している)
・相手を動かすには、こちらが主導権を握ること
・危機的状況にならないと人は動かない
・今回電話で思ったことを相手に言ったけど、これを言ってよかったんだろうか、とパートナーに確認してしまった(こういうことがしょっちゅうある)
・これは相手に理解を求めているから、ということに気づけた
「わかってよ」「察してよ」「なんとかしてよ」という気持ちは受け身
主体的に動くということをしてこなかった私は、受け身の姿勢でいることが多いです。
だから自分で考えて行動に移す、ということに自信がなく、責任もとれず失敗が怖くて回避してしまいがちです。
正社員だと責任が重いからアルバイトでいいです、という感じかな?
アルバイトだとまだ許されて厳しくされることがない、とどこかで思っているところがある。
責任をとる、ということが自分には重すぎるし耐えられないと思ってるんだろうなあ。。。
自分にはとても無理だ、できない、と決めつけるのも、逃げ道を作る、できなかったときの失敗の言い訳にしたいからだと思います。
それほど失敗や間違えることに敏感で、何が何でも成功しないといけないという思考に縛られている。
推測だけど、失敗した自分を受け入れてもらえなかった経験からきているんじゃないか?と思っています。
主体的に、ということを意識しているのだけどずっと受け身で動いていた私にとってはこれが難しいです。
相手に決断を委ねたり相手から言わせようとしたり、どこか歪んでいるなと感じます。
どこかで自分は悪くない、悪く思いたくないっていう気持ちがあるなあとも感じます。
複雑で色んな感情が入り混じっていて向き合うのは大変だししんどいけど、観察して修正していく以外にないと思っています。
人は自分のことが大好きな生き物らしいので、自分が嫌いといいつつも、自分をまもろうとしているあたり、本当は自分が好きなのだと思います。
自己否定も自己嫌悪も自己無価値感も。
全部自分がつくりあげたものならば、少しずつほどくこともできるはず。
※疲れてここで終わっていたのですが続きが書けないのでこのまま載せました。
☀最近の楽しみ、嬉しかったこと&できたこと☀
・料理が楽しくなってきた♪今はペペロンチーノを美味しく作る練習をしています。材料はシンプルなのに、すごく難しい!!パートナーに「うまい!!」を言わせたい(笑)
・お香を焚いて、クリスタルボールの演奏を聴くのにはまっている。
・22時には寝て4時、5時に目が覚める生活になってきた。
・木刀の素振りを始めた。前まではすぐにやる気をなくしてたけど、今は「やりたい」と思えるようになった。