※5月14日の下書きに加筆しました。
今日わかったことがありました。
人に干渉してしまうところがある、ということです。
人のことに自分の価値観をあてはめてしまい、こうすればいいああすればいい、と言ってしまうことがあります。
他人が気にならないことも白黒はっきりさせないと気が済まないところがあるので、どうしても他人に厳しくなってしまいます。しかも変なこだわりもあるし、細かい。
なぜそうなってしまうかというと、自分の中で「ここまでならOKだけど、ここからは干渉してほしくない」という境界線が曖昧だから。
おせっかい、過干渉な人に押し切られることが度々ありましたが、遠慮ではなくて要らないって本気で言っても「いいからいいから」と押されてしまいます。
「断ったら悪い」とか、「相手がどういう反応をしてくるかわからなくて怖い」、というのもありますが、まあいいか、と受け入れてしまいます。でもモヤモヤがずっと残っていました。
そのモヤモヤを相手にもさせてしまっていたんだろうというところまで考えられていませんでした。
親がこちらの都合おかまいなしにいらない物を送ってきたりすることと同じでした。最初は要らないと断るのですが、しつこく言ってくるとじゃあいいかな、と許してしまっていました。
そして余計なものをどっさり送ってこられて、ひどく落ち込み後々までひきずっていました。
落ち込むのは親に気圧されて負けてしまったことによるものみたいです。
何を言っても親に勝てない、とどこか脅威を感じていました。言い返しても親の主張のほうが強い(私の話を聞いているつもりで自分の話がしたい)
自己主張ができない。
これは自己無価値感からきているようです。 負けることによる無力感。
あとは「わがまま」と言われ育ってきたこと。わがままではないこともわがままだから我慢しなければならないと思ってしまい我慢してきました。
毒親はそうやって生きる力を奪っていきます。
最近は言い返せるようになってきました。
すると親が怖いという感情が薄れていきました。
相手に干渉する、ということは相手を尊重していないこととも言えます。これはパートナーに教えてもらいました。
自分が尊重されてこなかったから相手を尊重することがわからない、ということ。
そのため相手に干渉してしまうということをやってしまうのだそうです。
自分の価値観の押しつけを、無意識にパートナーにしてしまっていました。
自我境界線が曖昧なのはなんとなく感じていました。
でも、どうすれば他人と自分の線引きをすればいいのかがわからずここまできました。
無意識にやってしまってるときはそれが当たり前になっています。
こうしてブログで書いてみることで日々自分の行動、言動を振り返ることができます。
これから少しずつ行動範囲を広げていって、社会に出て、色んな人と関わる中で修正していきたいです。