さて、何から書いていこうかな。
現在うつ病治療真っ最中です。
うつ病になったのは今回で2度目です。
前回と違うのは、2年前に「発達障碍」があるとわかったこと。
これだけではないけどこれが生き辛さの原因のひとつであると理解できたとき、あーやっぱりな、とようやく自分を受け入れる準備ができました。
というのも、もともと人とは違う、まわりの人のようにうまく生きていくことができなかったからです。
うまくできない自分をずっと卑下し、自分にダメだしばかりして何の為に生きているのかわからない、けど死ねない、辛い思いを抱えてずーっと生きてきました。
どうやら発達障碍から見えるものと、健常者(わかりやすくあえてこう書きます)が見ている視点というものがそもそも違うようです。
まわりに合わせるのも、合わせすぎてしまったり必要以上に気をつかったりして、常に疲弊していました。(これについては追々書いていければ・・・)
教えられたことが全くできないわけではありませんが、うっかりやケアレスミスや失敗がないか何度も確認して作業が遅れたりすることがありました。作業を人にみられると緊張してしまいます。震えが出て「震えてるよ」と言われたことが何度かあります。
人との付き合いが下手くそなくせになぜか接客業や人と関わる仕事を選んでいたこともありますが、どの職も長く続きませんでした。
自分は何かおかしなところがあるな。。。と感じていたのですが、発達障碍というところまでいきませんでした。
今のクリニックでこれまでの経緯を話し、主治医に検査をすすめられました。
大人になってからだと子どものようにはっきりとした結果は出にくいとのことでしたが、自分の傾向を知る良い機会だと思い受けました。
結果、ADHAとASD両方ともに特性がありました。
思い返してみれば、兄弟もそうだし母も人の話を全く聞かない人なので、受けついでいたのだと思います。
これまでカウンセリングや認知行動療法、セラピー、ありとあらゆるものを試しては挫折し、生き辛さを解消するところまでいきませんでした。10数年前はまだ発達障碍という言葉も浸透していなかったし発達障碍の傾向があるんじゃないか、とも言われませんでした。
自分が発達障碍の特性をもっていることがわかると、これまでの自分のできないところは発達由来だったのだと理解ができます。
もちろん発達由来だけではないけれど、無駄に自分を責める必要がなくなりました。
例えば物をすぐなくす、とか落とす、とかは日常茶飯事。
なので割れるものは極力使わない、なくしてはいけないものは音の鳴るものをつける、カバンから出さない等工夫します。
頑張るのではなくて、工夫をする。
発達障碍を抱えていると、健常者が苦労せずしていることが当たり前のようにできません。
だからこちらができないことがあると、健常者からみて「なぜこんなことが分からないんだ?」「なぜこんな簡単なことができない??」となると思います。
一方で、こちらも健常者が見落としている細かい部分や普段誰も気にしないことを見ていたりいています。繊細で敏感なところが意外なところで役立つことがあります。
でも一般社会で生きていくには、繊細さや敏感さは生きづらいだけで、発達障碍を抱えながら生きることは一般の人よりはるかに難しいことです。
今まで一般の人に合わせようと頑張ってきたけど、頑張るところを間違えていました。
生きるだけで疲れてしまうので、早く人生を終わらせたいと思っていたしやりたいことがわからないままずっと生きてきました。
まだ自分が何がやりたいのかはっきりとはしていませんが、これが自分の人生をやり直せる最後のチャンスだと思っています。
自分をまず受け入れるところから。
できるところとできないところのふり幅が大きいので、自分の長所をどう生かしていくかを考えて工夫していきたいと思います。